哲学とはなんぞや? その答えは哲学者の数だけあるだろう・・・というと、少しキザったらしいかも知れません。
とは言え、哲学とは何か?という問いに答えるのは簡単ではないことも確かです。
哲学とは何か答えられないにしても、哲学の役割の一つに、「当たり前に見えることを疑ってみる」というものがあります。疑ってみることで物事の本質が見えてきたり、多くの人が陥ってしまいがちな間違いを避けることもできるのです。
今回は「当たり前に見えることを疑ってみる」ということの一つの例として、「普通」ということについて深掘りして考えてみます。
普段何気なく使っている「普通」という言葉・・・このことを哲学的に考えることで、意外な気づきがあるかも知れませんよ。
今回の内容はコチラ(目次です)
普通って良いこと?悪いこと?
「普通」って言葉、日常的によく使いますが、どういう意味でつかっているのでしょうか。
例をあげながら少し詳しく見てみます。
普通でなければならないの!?
「普通」という言葉、フツーに生きているだけで本当によく使います(あっ、フツーって言っちゃった)。
上の例では、なんとなく「普通であるべき」という心の声が聞こえてきませんか。
「あいつ普通じゃないよな(異常だよな、ムカつく)」 「普通にしなさい!(お前のやっていることはおかしいぞ!)」 「普通そんなことはしないだろう(常識のないやつだ、関わらないようにしよう)」
心の声を言葉にすると、こんな風に聞こえそうです。
ここには「普通」と言う言葉と同時に「普通ではない=異常」という発想から、
「普通」・・・正しいこと
「普通でない=異常」・・・悪いこと
という理解がされているようです。
これはこれで1つの見方ですね。
その一方で次のように見ることもあるようです。
普通はつまらない!? 普通であってはいけないの?
「普通を疑え!」 「普通だと成功できないぞ」
今度は真逆ですね。普通であることは何だか物足りない、悪いことのようです。
普通と言う言葉はここでは「常識」という言葉と言い換えられそうです。常識というのは「誰もが持っているべき共通の理解」という意味から、
→「常識を持っていない奴は悪だ」
→「常識だけで考えていると、うまくいかない」
と、全く反対の考えが生み出されます。
これって、面白くないですか?
「えー、そんなに面白くはないけど・・・」と思われれた方、スミマセン。
逆にもし、「うん、面白い!」とか「実は昔から不思議に思ってたんだよネ」って人は、割と哲学センスの持ち主かも知れません。
それはさておき、「1つの事柄が全く反対の2つの見方がされている」というのは不思議な事だとは思えませんか。
このあたり、もう少し詳しくみてみましょう。
どう思うかは人それぞれ。自分の考えだけにしばられることこそ、危ないんじゃぞ。
※そういえば「常識は疑え!」みたいなタイトルの自己啓発本が時々ヒットしているのを見かけます。
1つの事柄が真逆になる
ここまで「普通」という言葉も、良いように使われたり、悪い方に使われたりすることを見てきました。
これって、不思議なことではありますが、よくあることでもあります。例えば「自動車」は便利な乗り物ですが、時に人を傷つける凶器となることもあります。原子力発電はクリーンなエネルギーとして評価されていますが、東日本大震災の時にはとんでもない悲劇を経験することとなりました。
このように、1つの事柄が良い方悪い方の両面あるというのは、割と多く・・・どころか私たちの身近にはかなり多くあると言えないでしょうか(哲学者の中には全てのものに良悪2面あると言う立場の人たちもいます)。
また、古代中国には「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま」という物語があります。これは、
という教えを表したものです。下に物語を載せておきます。
人間万事塞翁が馬とは
大昔の中国でのお話
ある人の飼っていた馬が急に逃げていなくなってしまった。飼い主が残念がっていると、その村の老人が
「良かったのう、実に良い」
と言う。
人々は不審がっていると、しばらくして逃げた馬が立派な馬を引き連れて帰ってきた。
人々が喜んでいると、またその老人が
「心配じゃ、実に悪い」
と言う。
そうしていると、ある日、戻ってきた馬に乗っていた子供が落馬して大けがをしてしまった。人々が心配していると、また老人が現れ、
「良かったのう、実に良い」
と言う。
しばらくたつと、国が戦争に巻き込まれ若者の多くは兵隊にとられてしまったが、落馬し大けがをした子供はおかげで戦に出ずにすみ、命拾いをしたという。
悪いことがあってもくよくよするな、良いことがあっても浮かれるなという教えですね。
これは古代中国の歴史書「淮南子(えなんじ)」にある話です。淮南子が書かれたのは紀元前2世紀ころ。今から2200年くらい前、あの三国志の時代から見ても300年以上も昔になります。
そんな時代からこんな教えがあったというのは、とても興味深くないですか?
人間って変わらないのかも知れませんね。
物事には必ず別の面がある
「普通」や「常識」と言う言葉には良い面、悪い面の両方ありそうです。それだけじゃなく、他の多くの物事についても同じことが言えそうですね。
片面しか見ないのはもったいない
最近ちまたでは、新型コロナウィルス対策として「早く自粛を解除して経済活動をすべき」という意見と「いやいや、感染が広まったら大変だから、じっくりと収まるのを待つべきだ」と真っ向から反対の意見があったりもします。
これについては、政治が関わる大きな問題でもあり、身近な話でもあり、誰もが自分なりの意見を持っているのではないでしょうか。
そして、良くあるのが自分とは違う意見に対する批判や攻撃です。
自粛派は「経済活動なんてとんでもない!」と相手を批判すれば経済再開派は「ウイルスを甘く見てるんだ」とやり返す。ちょっと不毛なニオイがしますね。
これは一例ですが、世の中のほとんどの意見の対立は、「1つの事柄にある良悪2面の片方しか見ていない」ことから生じていると言えないでしょうか。
自分なりの意見を持つことは大事ですが、それに固執するあまり、違う意見にも必ずある良い面を無視したり過小評価したり。お互いがそうしていれば解決など程遠く対立がエスカレートするしかないでしょう。
この原因として、人間は自分が信じている普通や常識をなかなか疑えない、ということがあるような気がします。
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そこに哲学の意味がある
物事には多様な側面があり、一面だけ見ているのではもったいない、場合によっては誤りに陥ったり、無用な対立を生むこともあります。
そのような状況を避けるにはどうすると良いのでしょうか。
- 他人の話をよく聞いてみる
- 自分でしっかり学んでみる
当然と言えば当然すぎるほど大事なことですね。ただ、これだけでは十分ではないかもしれません。そこで重要になるのが、今回のテーマである「当たり前を疑ってみる」ということになるのです。
「これが正しいんだ!」「こうするのが常識だ」と信じていることでも、「本当にそうか」とか「なぜ自分はそう信じているんだろう」と健全な疑いの目を向けることで、別の側面が見えてきます。
自分が信じている普通や常識とは違う見方があることに気づくというのは、とても大事なことであり、哲学はそのためにとても役に立つのです。
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おススメ本の紹介
最後に哲学をするためのおススメ本を紹介します。
今回は紹介する「君たちはどう生きるか」は、ハッキリ言って鉄板本です。
左の岩波文庫版はオリジナルで、1937年の発行以来、80年以上も読み継がれています。中学生向けに書かれたとても読みやすいものですが、内容はとても濃厚で、私自身、人生が変わったとも言える1冊です。
右の漫画版は2017年に発売され、200万部を超える大ベストセラーになりました。漫画でとても読みやすく、わずかにエピソードが変わっているくらいで、内容も文庫に比べ見劣りはほぼありません。
どちらも、哲学をする第一歩としておススメ。特に序盤の「ものの見方について」は必見です!
まとめ
- 普通や常識というものには良い面、悪い面両方の見方ができる
- 世の中の物事の多くは二面性をもつ
- 片方の面しか見ず、もう一方を無視することで対立は生まれる
- 哲学的に考えることで、良悪の両面に気づくことができる
普通や常識と言うのは私たちの生活に当たり前の重要なことですが、一方でこれを疑ってみることも大いに役に立つということがあります。
自分の考えに固執するのではなく「これって本当かな」「自分は間違っていないかな」と考えてみることは哲学の基本で、本当に貴重な第一歩と言えます。
「あいつ普通じゃないよな」
「普通にしなさい!」
「普通そんなことはしないだろう」