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「無知の知」ってどいうこと? ソクラテスの気づきは全ての学ぶ者に必要な態度!

ソクラテス 無知の知
ソクラテスのイラスト

 

「わしは何も知らん。だがわしは何も知らんということを知っておる…」

…って、なんの禅問答ですか!

これはあの有名な「無知の知」を表した言葉です。

聞いたことのある人は多いでしょう。ですが、「じゃあ、無知の知ってどういうこと?」って聞かれると、「そりゃあアレだよ、知っているけど、知らないんだよ。えっ?あれっ?」なんて不安になる人もいるかも知れませんね。

無知なのに知…? どっちなの?

よく考えると不思議な言葉ですよね。

なんか人をケムに巻いているような、それでいて深いようなこの言葉、知っておくととても人生が豊かになる言葉でもあるんです!

今回は、この哲学界で知名度トップを争う有名な言葉「無知の知」について、簡潔に、わかりやすく、そして人生に活かせるように解説してみます!

参考 哲学の誕生 ──ソクラテスとは何者か (ちくま学芸文庫)

ソクラテスの哲学の奥義

さて、無知の知とは何なのか。

もちろんウィキペディアにもきちんと説明があります。ですが、これがなかなか長いし、難しい…

なので、わかりやすく解説してみます!

参考 無知 (wikipedia)

その前にソクラテスの話を少ししておきましょう。

先生
先生
呼んだかの?

フクロウ
フクロウ
いえいえ、まだ呼ばれてませんって、先生!
なんだか、これから先生の話をするみたいですよ

 

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一番賢いのはソクラテス!?

古代ギリシャソクラテスは、あるとき友人からこんな話を聞きます。

「なあなあ、この前3丁目の角のところの神殿に行ったんだよ。それで、特に願い事もなかったから、何か面白いもの聞いてみようと思って、『ねえ神様、この世で一番賢いのは誰ッスか?』って聞いてみたんだよ。そしたらなソクラテス、お前が一番賢いんだって!マジかよー!?」

先生
先生
こんな話じゃったかの。まあよい。確かにわしの友人カイレフォンはそのようなお告げを受けたようじゃったわい

神様から一番賢いなんてお墨付き。普通ならこんな話を聞くと舞い上がってしまいそうですが、ソクラテスは反対に悩んでしまいました。

なぜなら、ソクラテスは自分が賢いなんてこれっぽっちも思ってなかったからです。

一番賢いというお告げを受けたソクラテスは驚きの行動に!

こうして、自分の思いとは裏腹に「一番賢い者」という神のお告げを受けたソクラテス。素直に喜んでいれば良いものを、まさかの行動に出てしまうのです。 それは…

自分が賢くないことを証明する!

いやいや、なんなんでしょうね、この人。意味不明なミッション。まぁ、さすがに「哲学の父」なんて呼ばれるほどの人物。ちょっと常人の想像を超えています。

思い立つと行動の人ソクラテスは、町に繰り出し「自分が賢くないこと」を証明するために、賢いと自他ともに認める人たちに会いにいくことにしました。

そこで話をするうちに、「自分の愚かさが明らかになる」と考えたわけです。

町の知恵者たちと話をするうちに、まさかまさかの展開へ…

ソクラテスは、知恵者と評判な人たちに会うために、町に繰り出しました。そして知恵者として評判な政治家、芸術家、技術者と問答をするのです。

自分の未熟さを知るために、賢い人たちから教えを乞う。こう聞くと、「ソクラテス、立派な人だなぁ」と思う人もいるでしょう。

確かにそういう面もありますが、あのソクラテスのこと、そんな穏やかなことではありません。どちらかというと「道場破り」に近いものでした。

例えば、こんなやり口です。

ケンカファイル1 ソクラテスと将軍さま

ソクラテス「なあ、将軍さん。あんたは立派な軍人じゃからひとつ教えてくれんかの。勇気とはなんじゃろう。勇気は素晴らしいものじゃろうか。」

将軍「勇気とは恐ろしいものに立ち向かっていくことです。もちろん素晴らしいものですよ」

ソクラテス「なるほど、では、この前そこの角でドロボウが警察に囲まれて暴れていたが、あれは素晴らしいことかね」

将軍「何を言うんです、おじいさん。そんなのちっとも素晴らしくありませんよ」

ソクラテス「おかしいのう。ドロボウからすれば警察は恐ろしい。あんたは恐ろしいものに立ち向かうのが勇気で、それは素晴らしいと言うたんじゃなかったかの」

将軍「え、えーと、それはですね、うーんと…」

…大体こんな感じです。教えを乞うどころか、相手をやっつける気満々と言った感じですね。道場破り、いや、ケンカを売りに行ったという方が良いかもしれません。

こんな感じで、知恵者と呼ばれる政治家、芸術家、技術者と問答を行い、彼らをコテンパンに叩きのめしてしまったのでした。

先生
先生
叩きのめした?人聞きの悪いことを言うのう。彼らは自らも周りからも知恵があると言われていたので、教えを乞うただけじゃ。まぁ、わしも彼らも「何もわかってない」ということがはっきりしただけじゃったがな

 

参考 初級者のためのギリシャ哲学の読み方・考え方

で、結局「無知の知」って何?

神様から「ソクラテスが一番賢い」というお告げを聞き、そんなことはないと自分の無知を証明しよと町に繰り出したソクラテス。結局、知恵者と呼ばれる人と話してみても、何も得るものはなかったようです。

「なんじゃい、知恵者と呼ばれる連中も結局なにも分かっておらぬ。わしとて何も分かっておらぬ。それなのにこのソクラテスが一番賢いとは、神様は何を言いたいのじゃ?」

 

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世界史に残る偉大な気づき

何の解決もなく疑問はさらに深まるばかり。さすがのソクラテスも意気消沈といったところでしょう。が、この時、ある”気づき”に至るのです。それはある意味哲学の誕生とも言える、人類史に残る気づきだったのです!

神のお告げはなんだったの?
「わしも知恵者たちも結局は何も分かっていなかった。そこは同じじゃ。だが、彼らは何も知らないのに何かを知っていると思い込んでいた。他方、わしは、何もわかっていないことだけは知っている。ん?神様はもしやそのことを言っておられたのか!?」

わたし自身、これは世界最大級の気づきだったと思います。

話がこんがらがりそうなので、ソクラテスの気づきを下にまとめておきました。

多くの人は自分が何もわかっていないのに、何かを知っていると思っている。しかし、それは単なる思い込みに過ぎない。ソクラテスが知恵者との問答で気づいたように、「自分が何も知らないということ」を知っているかどうか。賢いとは、そのことにかかっている

先生
先生
ふむ。大体こんなところでよかろう。ただ、「知らないということを知っている」というのも、結局「知っている」と言っておるわけで、謙虚さが足りんのう。
知らないということを「自覚する」というくらいがしっくりくるわい

フクロウ
フクロウ
先生って意外に謙虚なんですね!すごいんです。ただの口うるさいおじいさんかと思ってました!

「無知の知」は、何かを学ぼうとする最も基本的な態度だ!

ソクラテスの得た偉大気づきである「無知の知」

遥か太古のことでもあり、色々な解釈がされるのも事実で、研究者によっては多少違う捉え方をする向きもあります。これまで述べたことは、大意は外していないと考えていますが、絶対唯一の捉え方ではありません

例えば、上でソクラテス先生がおっしゃっているように「己の無知について知っている」ということは「絶対である神と違い、人間は確実にものを知ることはできない」という考えとは矛盾してしまいます。

そして、そのような点からは「無知の知」というフレーズ自体がおかしなものであり、「無知の自覚」といった呼び方の方が適しているとする学者もいます。

参考 哲学の誕生 ──ソクラテスとは何者か (ちくま学芸文庫)

これについては私も「なるほど!」と思っています。

それはさておき…この「無知の知」という態度はものを学ぶ態度として、まず最初に持っておくべき最も重要な心構えではないでしょうか。

自分が何かを知っていると思った瞬間、学ぼうという意識は消えてしまいます。

自らの無知を自覚してこそ「知りたい!」という気持ちが生まれ、学びが生まれるのだ!ということがソクラテスの真意だと思うのです。

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4件のコメント

最近はAI(人工知能)の発展があれこれと喧伝されていますよね。優れもののAIしかし、その中身は「ブラックボックス」だということがブラックボックス問題として議論されています。これらも無知の知の話の高度な形態をとり(AI推進、反対)×(ブラックボックス解明可能、不可能)の合計4種類のグループがいろいろと議論しています。私はAI推進派ですがプラックボックスは解明不可能とするのが正直なところと思っています。しかし、だからといってブラックボックスをただのブラックボックスとして終わらせてしまうと多くの人に理解が得られません。そんななか最近見つけたスゴ本として材料物理数学再武装という大学の先生の講義資料がありました。すこし、数理的な話になりますが、とても興味深いので紹介しました。

鉄鋼メーカーのプロテリアルでSLD-MAGICという高性能マルテンサイト鋼を開発された久保田邦親博士ですね。彼のものづくりにおけるCCSCモデルによる軸受国富論も興味深いと思います。

最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどによりギリシャ・ローマの古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。

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