人間の心って本当にフシギ。身近な人の気持ちでもよくわからないってことも多いのではないでしょうか。時には、自分の心ですら「わからない・・・」と、途方にくれたりすることも。
とは言うものの、「人間に心がある」ということについては、きっと誰もが納得しているとことでしょう。たとえ「あいつは心がない!」って言うときでも、それは、
「あいつは人間としての温かみがないんだ!冷たい心の持ち主だ!」ということの表現だったりして、なんらかの心を持っているということは否定できそうにもありません。
では、コンピュータはどうでしょうか。高度なコンピュータは心を持つことがあるのでしょうか?
えっ?と思うかも知れませんね。「人間ではない機械が心を持つわけないじゃないか」と普通は考えます。でも、実はここに哲学的な本当に深いナゾが潜んでいるのです。
今回は「コンピュータは心を持つのか?」という疑問を元に、ジョン・サールという哲学者の考えた思考実験「中国語の部屋」を紹介します。
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今回の内容はコチラ(目次です)
中国語の部屋という思考実験
「中国語の部屋」とは、哲学者ジョン・サールの考えた思考実験です。どのようなものか紹介します。
中国語の部屋とは?
少し長くなりますが、まずはコチラを見てください↓
以上が、「中国語の部屋」と呼ばれる思考実験を簡単に説明したものです。なんだこれは?と思うかも知れませんが、そこは哲学者のすることと、温かい目で見てくださいね。
中国語の部屋とはコンピューターのこと!?
さて、この中国語の部屋の話、何かに似ていると思いませんか?
そうです。中国語の部屋とはコンピュータを想定して考えられたものだったのです。最近では「女子高生AIりんな」というのもあるので、これなどは中国語の部屋の話そのままと言えるでしょう。
りんなとはLINEでやりとりができます。りんなにメッセージを送ると、いろんな返事を返してくれます。「かぜひいた」と言えば「病院いって」と返事をするし、「仕事いきたくない」とグチると「我慢しなさい」と叱られたりします。
周りから見ると、まるで本当の人間とLINEのやりとりをしているみたいです。ですが、相手はAIであり彼女(?)には当然心があるとは思えません。ただ、りんなはとても人間臭い返事をしてくるので、かなりはまっている人もいるようです。芥川賞作家の村田 沙耶香もりんなとLINEすると止まらなくなるそうです。
AIの心に人の心 心とは一体何なのか
ドラえもんに心はあるのか?
ここまでの話で、コンピュータや人工知能の心について「そんなのあるわけないじゃないか!」という方が多いのではないでしょうか。
確かに、普通に考えればその通りでしょう。ですが、私たちの身近にあの「いかにも心のありそうなAI」が居ることを忘れていませんか? そう、ドラえもんがいるじゃないですか!
ドジでおっちょこちょい。泣いたり笑ったり怒ったり。メス猫のミーちゃんとのデートのことで頭がいっぱいだったり、ネコのくせにネズミが怖かったり、時にはハッとする良いことを言ってみたり。とにかく、人間味がありすぎて、人間以上に心がありそうですよね。
「そんなこと言ったって、あんなのマンガじゃないか!」という声が聞こえそうです。うん、確かにマンガです。私フクロウもまさか「ドラえもんには温かい心があるんだよ!」なんて言うつもりはありません。
ただ、もし、もしもの話。科学が進歩して、いつか将来に本当にドラえもんのようなAIが誕生したらどうでしょうか?ドラえもんのマンガの中で、キャラクターたちが誰も「ドラえもんは心がないんだよ」と思ってないように、私たちもAIに心を感じることがあるかも知れません。
人間には心がある それってホント?
私たちは普段、自分に心があることを疑っていないのと同様、他人に心があることについても疑ってはいません。ですが、厳密に、どのようにすれば他人に心があることが分かるのでしょうか。
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哲学的に言えば、「自分ではなく他人に心があることをどのように証明するか」という問いが成り立ちます。そして、この問いはかなり難しく、現代の哲学では他人の心は確実にあると証明されてはいません。(もちろん、無いとも言えません)
先ほどの話で言えば、将来、人の心を持っている(ように感じることのできる)人工知能アンドロイドが誕生した時、人間よりAIの方に親近感を感じることがあるかもしれません。
仕事がうまくいかなかったり、テストで失敗してしまったりして「あーあ、オレってなんてダメなんだろう」としょげているとき「努力がたりないんじゃない?」と言ってくる知人より、「大丈夫!たまたまうまくいかなかっただけだよ!」と言ってくれる人工知能型アンドロイドの方に、人としての心を感じてしまう、なんて場面ありそうですよね。
自分以外の、他人や機械や動物に心があるかどうかは究極的には分からないし、むしろどうでもいいことかも知れません。
それよりも、気に留めておくべきは感じ方、つまり「私はあの人(AI、動物)の心をこう感じている」と言うことの方が重要なことと言えるかも知れません。
他人の心はわからない だからこそ必要なのは・・・
結局、他人に心があるかどうかは哲学的には確定できない。機械に心は無さそうだけど、あたかも心を感じることもある。
分からない、確定できない、、、ネガティブなことばかり書いてしまい、読みながらゲンナリした方スミマセン。
ただ、分からないからこそ大事なことがある。最後にそんなことを書いておこうと思います。
心を理解するためには傾聴と創造力
人間同士の心のやりとりは、会話という形をとることが多いでしょう。家族や恋人同士、あるいは友人知人同士で私たちは、本当に様々な内容や形で話をします。
ただ、その会話の際に、「どうもあの人は何を言いたいのか分からないな」とか「何度言ってもわかってもらえない」と感じることもあるでしょう。気心の知れた者の間でも、こうしたことは意外に多いのではないでしょうか。
こうしたことは、とても複雑な心の中身を限られた言葉で表そうとすることからくる行き違いと言えそうです。
誰かが「いやぁ、新しい仕事が大変でねぇ」と言ったとしてもこの言葉だけでは、大変な仕事のグチからアドバイスが欲しいのか、あるいは新しい仕事を任されたという自慢なのか、はたまた聞き手に気を使い自分を卑下して言っているのかわかりません。
この人がもし自慢したいということであったときに、「大変な仕事なんだね、きちんと周りに相談した方がいいよ」なんてうかつにアドバイスをしてしまったら、すれ違いの会話で目も当てられません。
そうならないためにも、相手の話はきちんと聴くということが大事になりそうです。
さらには、ただ聴くだけでは別の失敗もあるかも知れません。
「仕事が大変ということですが、あなたはアドバイスが欲しいのですか?それとも自慢がしたいだけですか?」なんて言ってしまえば、人間関係も危ういですね。
このようなときには、相手が何を言いたいのか、何を求めているのか想像力を働かせることも重要でしょう。
想像力を働かせつつ、きちんと相手の言葉を受け止めて話を聴くということこそ、ついすれ違いがちな心のやりとりを円滑に進めるきっかけになるのかと思います。
まとめ
- 「中国語の部屋」とはジョン・サールの考え出した思考実験の一つ
- 「中国語の部屋」の思考実験で、中国語を全く理解できない人が「あたかも中国語を完璧に分かっているような応答をする」という仮想を用いる
- 「心とは何か」「コンピュータは心を持てるのか」「心を持つとはどういうことか」などについて考える
- 「心とは何か」という難問は、いまだにコレ!という答えがない
- 他者を理解するためには、丁寧に話を聴く「傾聴」と「想像力」が重要
「中国語の部屋」とは1980年頃から活発に議論されていますが、いまだに満足のいく答えはありません。ただ、「心とは何か」というような難問を考える際に、このような思考実験は数々のヒントをもたらしてくれています。
ゴールにはたどりつけなくても、道のりはとても美しい。答えではなく、過程を楽しむという哲学の醍醐味がここにもあると言えます。
そのジョンが今、何もない小さな部屋に閉じ込められている。この部屋には小さな紙をやりとりできる程度の小窓がついているだけだった。
ジョンには1つの使命があった。まず、外からこの小窓を通して中国語の書かれた紙がジョンに渡される。この紙を受け取ったジョンは、中国語で返答を書き、外に返さなければならない。これがジョンに与えられた使命だった。
ジョンは中国語は全く分からないが、完ぺきなマニュアルを渡されており、これには、例えば「θ※■?<」と書かれている場合には「■#>>§」と返すように指示が与えられている。ジョンは渡された紙に書かれた内容も、自分の書いた内容も全くわからないまま、マニュアルに基づき完ぺきな返答を返し続けた。