テレビやネットニュースでは、連日新型コロナウィルスの話題ばかり。3月11日、ついに「WHO(世界保健機関)」がパンデミックの宣言を出しました。
2009年のSARS(サーズ)を超える、感染者や死者数に「こんなことがあるのか!」と驚く人も多いでしょう。
しかし、このような状況を予想しているかのような小説が、数十年前に既に発表されていました。
それこそがノーベル文学賞を受賞した作家カミュの代表作の一つである『ペスト』です。
実はこの小説、新型コロナウィルスの蔓延を受けて、大幅に売れ行きを伸ばしているとか。
https://toyokeizai.net/articles/-/335178?page=2
(引用記事 「コロナ騒動で激売れする小説「ペスト」の中身)
今回は、この『ペスト』について解説をしていきたいと思います。
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今回の内容はコチラ(目次です)
「ペスト」で描かれるパンデミックの恐怖
カミュの『ペスト』とはどのような物語でしょうか。テーマとなっている伝染病ペストについても簡単に解説しつつ、あらすじを見ていきましょう。(少しネタバレがありますので、未読の方は注意してください)
ペストとは?人類史上最悪の恐ろしい伝染病
ペストとは別名「黒死病」とも言い、非常に感染力が強く、致死率も高い伝染病です。発症すると、内出血により皮膚が黒く変色することからこの名がつきました。感染者の多くは、高熱や肺炎となり苦しみのうちに亡くなっていきます。
地球の歴史上、何度か大流行が発生していますが、14世紀から15世紀にかけてヨーロッパで発生したものは、約1億人が死亡し、壊滅した町や村もあるほど。イギリスやイタリアなど人口の半数以上が亡くなった国もありました。致死率も60%から90%とも言われており、人類史上最悪の病気の一つであると言えます。
現代では医療の発展により、多くは治療や蔓延防止に成功していますが、世界では少数ながら未だこの病気による死者も出続けています。
小説『ペスト』と現在のコロナウィルスパンデミックの一致
さて、このような恐ろしい病であるペスト。この病に脅かされている社会が抱える恐怖は想像に難くないでしょう。
この物語の舞台は1940年代のアルジェリアにあるオランという港町です。現代日本に生活する私たちとは、時代も地域も、恐らく文化や考え方も大きく違っていることでしょう。
しかし、このペストに侵されているオランの町と、「新型コロナウィルス」の脅威にさらされている現在の日本の私たちの間には、これでもか!という程の共通が見て取れるのです。
ここでは小説『ペスト』の描かれているオランの町と、現在の私たちが直面している状況の驚くべき一致を挙げていきます。
人々の疑心暗鬼
オランの町の人々は、隣人、職場の同僚が次々と病に倒れ亡くなっていく様子にうろたえ、いつ自分や家族がペストにかかるのかと疑心暗鬼になっていきます。そして、近所に医者が往診に来たり、救急車のサイレンが聞こえたりするだけで、それが事実がどうかを別にして、ペストが発生したと思い込むようになっていきます。
今の私たちも、連日の報道で、自分自身の住む自治体に感染者が出ているのかどうか、大きな関心ごとになってしまっています。〇〇県や〇〇市でコロナ患者が発生したという報道が流れると、時を置かずして、感染者の特定をしようと情報が飛び交っているようです。
また、この騒動の間の一時期、日本中でトイレットペーパーが売り切れ手に入らないという事態が起こりました。どうやら、紙が不足するだろうという憶測めいた情報が独り歩きし、多くの人が無批判に信じてしまった結果のようです。トイレットペーパーの品薄という事態は早々に収まりましたが、些細な情報に翻弄され、社会的に大きな不具合が生じるという結果は、カミュの描く不条理そのものに思えてなりません。
政府や担当部署の後手後手の対応
オランの町では、ペストの兆候をつかんだ医師は「二か月以内に全市民の半数が死滅させられる危険があります」(カミュ『ペスト』p73 宮崎嶺雄訳 新潮文庫)と行政当局に訴えます。しかし、当局は対応に消極的で、医師の危惧に対しのらりくらりとはぐらかすのみ。ペストである確実な証拠がないことから、対処に二の足を踏んでいるようです。
今回の新型コロナウィルスについても、物語のような状況と非常に近しい印象をぬぐえません。なるほど、確かに、行政当局が動けば経済や人々の気持ちに影響を与えるでしょう。そして、当局がそのことを警戒するのも理解できないわけではありません。
しかし、現実に多くの人が亡くなり、感染も収束どころかますます拡大の勢いを強めています(2020年3月15日現在)。
行政側の消極的な対応は「事なかれ主義」とも言えるかもしれません。あるいは、担当者が責任を取りたくないがために「判断をしない」ということのようにも思えます。(このことは日本にも当てはまりますが、中国ではより深刻なようにも思います)
行政側にも事情や言い分はあるでしょう。しかし、判断や対応の遅れが感染や死者数の拡大につながってしまったという点は事実として受け止めなければならないでしょう。
カミュの描いた不条理
この物語の中で、カミュは多くの不条理を描いています。カミュが描いた不条理について、いくつか取り上げて見ていきたいと思います。
危機的な状況の中で、喜ぶ人
ペストの蔓延とともに街も人々も疲弊し、悲しみに包まれていく中で、まるで場違いに喜んでいる人物が一人だけいました。ペストの発生直前に自殺未遂をした犯罪者のコタールです。
コタールは自分の犯した犯罪によって追われており、逮捕が間近に迫った恐怖から自殺を図りますが失敗します。しかし、その直後にペストが広まり、町は混乱して行く中、誰もコタールの逮捕など気にも留めなくなるのです。彼にとっては、まさに僥倖と言えるものでしょう。
このようにカミュの物語は、救いのない不幸な状況の中で、その不幸な状況ゆえに喜ぶ者の存在を見逃しません。どのような過酷な状況でも、それを喜ぶ者が居る。どのような幸せな状況でも、それに苦しむ者が居る。
ここにカミュ一流の洞察があり、それが物語の奥深さ、リアリティを作り上げているのではないでしょうか。
善なる者が救われない(ネタバレあり)
この物語において重要な人物の一人に、最初にペストに気づいた医師のリウーがいます。彼の妻は結核のためペストの舞台となるオランを遠く離れたパリで療養するのですが、そのためにペストを避けることができました。
しかし、事態が収まりオランの町に日常が戻ってくるときにおいて、妻は結核で亡くなってしまいます。
私は、この物語において、ここに最大の不条理を感じました。
医師の妻でありながら、結核を患うという不条理。
結核のため、夫婦が離ればなれになりながら、そのためにペストの危機を回避できたという不条理。
ペストの危機が去りながら、結局は結核に倒れるという不条理。
なんとも救われない物語ですが、人が生きていくという現実を突き詰めるとこう言うことになってしまうのかも知れません。
だけど、やっぱりカミュを読んでよかった!
カミュの『ペスト』は不条理や不幸のオンパレードで、本当に救われない話だとは思います。
しかし、私自身は、この本を読んで本当に良かった!と思っています。
まず、人生の不幸や不条理について免疫がつきました。人生が順風満帆で、一点の陰りもなく進んでいくのであれば、このような物語は全く必要ないでしょう。
しかし、実際の人生は良くて山あり谷あり。むしろ辛いとき、しんどいときの方が多いかもしれません。
このような人生の谷の時に、不条理や不幸を読書により経験することで、自分自身や状況を客観視することができます。それにより、辛さがいくらか軽くなったり、良い意味で諦めがつき、前向きになれたりすることが多くあったと思います。
今、私たちは「新型コロナウィルス」に直面し、医療や健康面の不安、仕事や経済面の不安、マスク不足の不安や将来に対する漠然とした不安を、大なり小なり抱えているのではないでしょうか。
このようなときに、カミュの『ペスト』を読み、世の中の様々な不条理に触れておくことは、精神的な耐性を高めるワクチンとしても、あるいは、時宜に応じた読書としても大変おススメだと思います。
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