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新型コロナウィルスの危機とは何か、我々は何をすべきか、人類はどこに向かうのか②

地球がマスク

前回、新型コロナウィルスの危機とは何か、我々は何をすべきか、人類はどこに向かうのか②では、中国の武漢ではじまった新型コロナウイルスの感染拡大について、何がどのように危険なのかについて考えてみました。そして、ウイルス感染の爆発的拡大は人類の存続にも関わる大きな問題であること、今回の新型コロナ危機も決して楽観はできないこと、収束には数年かかり、アフリカ大陸での拡大が大きな意味を持つこと、などを確認しました。

今回はそのような状況の中、実際に私たちの社会がどのように変化し、また、私たちにどのようなことが求められるのかを考えてみます。今回は、筆者自身の考え、予想が含まれており、いくらか主観的な部分もありますので、それを踏まえて見て頂けたらと思います。

新しい働き方が、新型コロナ対策の副作用として促進される!

現在、日本をはじめ世界各国が様々な感染の封じ込め対策に本腰を入れ始めています。ニューヨークやパリなどの主要都市で外出制限令が出され、多くの国が「緊急事態宣言」による経済活動の制限を検討しています。もう、ぎりぎりの状況です。

リモートワークが普及し、在宅やフリーランスの仕事が増える

このような中で、リモートワークが促進され、これに関する技術が発展することは間違いないでしょう。実際に韓国では子供たちが在宅で授業を受けることになっています。

ZOOMやSkypeなどによる遠隔コミュニケーションがどんどんと進むことでしょう。これに伴い、在宅勤務も広がるはずです。

これらの遠隔コミュニケーションの技術は、私たちの生活や働き方にも大きな影響をもたらすでしょう。それは、ちょうど電話やメールというイノベーションが離れた人との会話を可能にしたことに似ています。これらの技術が空間や時間を超え、コミュニケーションの大変革をもたらしました。

ZOOMやSkypeといった遠隔コミュニケーションの技術は、これよりもさらに大きな可能性をもっていると言われています。今後、どのように社会が変わっていくのか、私たちの予想をはるかに超えた世の中が誕生することも間違いないでしょう。

気になる経済の見通しは?

新型コロナの影響で経済は大きく滞るでしょう。一時はパニックによりトイレットペーパーが店頭から消えました。パニックの鎮静化に伴い、トイレットペーパーの不足は収まりましたが、マスクや消毒液、衛生用品などはいまだに満足に手に入りません。国や地域によって外出や移動が制限されています。そういった制限がないまでも、感染を恐れる人々は必要以上に出歩くことを避けるようになりました。ホテルやツアーなどの売り上げは激減し、観光業をはじめ、衣料品など多くの業種が大打撃を受けています。

日本では、政府がこれらの補償を検討しています。大打撃を受けた観光業などに対して、1兆円程度の支出を検討していることが報道されています。

このような補償が必要なことは間違いないでしょう。ただ、この財源についてはどうなるのでしょうか。あらゆる業種が大きな影響を受ける中、税収の減少は不可避です。賃金も下がり、失業も増え、消費マインドはかつてないほどに冷え込んでいます。

私見ですが、現状でもリーマンショックどころではない、未曽有の大損失であり、もし、これ以上に状況が悪化すれば、先の第2次世界大戦にひっ迫するような損害も否定はできないと考えられます。

残念ながら、経済についての見通しはこれ以上にない暗さと言えるでしょう。

ワクチンや治療薬の開発はいつ?

新しい感染症の恐ろしさは、必要な治療がないことが最大の要因です。新型コロナウイルスについても例外ではありません。

現在、医学や製薬業界が様々にあらゆる角度からの対策を全力で行っています。インフルエンザ薬のアビガンが新型コロナウイルスに対して奏功した報告もあります。ただ、このような薬の開発は効果や安全性の確認のために多くの治験が必要で、実際に使われるには1年程度かかる見通しだそうです。

中国の倫理観が製薬を牽引?

このことについて、面白い話を耳にしました。

実は、一部関係者の間で、中国が今回の件に限り治療薬の開発をリードする可能性が語られています。

中国は、医学や科学の分野において、よく言えば意欲的、悪く言えば成功のために手段を選ばない、という風に見られているようです。

例えば、アメリカや日本、ヨーロッパの先進国では、医学や製薬の研究において、非常に厳しい倫理規定があり、(ほぼ)全ての研究者はこの倫理規定に従って研究を行っています。これにより、私たちは安心して、研究の成果を受け取ることができるわけです。

これに対して中国は、研究成果を急ぐあまり倫理規定を軽んじる傾向があるというのです。勝つためには多少のルールを無視するという感じです。

しかし、今回のような危機的な状況下では、まさにこのことが早い成果につながる面も否定できません。

先進国がルールに則って、フェアプレーで試合に臨むのに対し、中国は「勝てば官軍」とばかり、反則ぎりぎり、あるいは明らかに反則な手も打ってきます。これが、奏功すれば、もしかすると、現在予想されているより早く、治療薬やワクチンが完成するかもしれません。

非常時にはルールに従っている場合ではない、といったところでしょうか。

判断の難しい、微妙な問題です。

 

今後の見通し

今後、世界は感染の爆発的な広がりにより甚大な損害を受け、それに伴い社会は大転換を迫られるでしょう。

歴史的をみても、感染の大流行が大きな転換を生み出してきたことがわかります。

ペストの大流行により、多くの人々が亡くなり、農業に従事させられていた奴隷が激減しました。これにより農奴制が崩壊し、ヨーロッパの中世が終わります。

コロンブスは梅毒をアメリカに持ち込み、現地住民に莫大な被害をもたらしました。大航海時代にスペイン人が中南米を侵略した話は有名です。この時、スペイン人が現地人を征服できた大きな要因が天然痘でした。これによりメキシコのアステカ文明とペルーのインカ文明が崩壊します。実は武力ではインカ文明やアステカ文明が勝っていましたが、天然痘により滅ぼされてしまったのです。

ちなみに、現地の住民は天然痘による災厄を神の仕業と考え、これにより多くキリスト教への改宗が進んだとのことです。中南米の国々にあるキリスト教への根強い信仰の源は、実はこの辺りから来ています。

少し話が横道にそれてしまいましたが、これまでの歴史の中で、危険な病原菌の流行が多くの歴史の転換を生んだことを見てきました。転換期には外部からの不可抗力が莫大な作用をもたらすのです。

そのように考えると、今回のコロナ危機は私たちに、意識や行動の変化を突き付けてきているとも言えるでしょう。

危機は人々の意識を変え、行動を変え、果ては世の中を大きく変えていきます。

このような中で、従来の考え方や行動にこだわることは百害あって一利なし。ただ、私自身もよくありますが、新しいことに対しては、どうしても尻込みしてしまいます。避けて通りたいと思ってしまうのも事実。人間は生存本能により、新しいものを恐れ、今までのものに安心するようにできてしまっています。長い歴史の中で脳に刻み込まれてしまっているのです。

しかし、今回のコロナ危機は、もう、待ったなしです。

もし、このまま、今が感染拡大のピークでこれから収束に向かう、というのであれば、大した問題ではありません。ですが、「新型コロナウィルスの危機とは何か、我々は何をすべきか、人類はどこに向かうのか」でも書いた通り、この危機が簡単に収束することは、万が一にもないでしょう。

この危機がもたらす新しい世界にどのように適応していくか、私たち一人ひとりが真剣に考え、取り組まなければならないと思います。

新型コロナ騒動のその後

今、2025年に振り返ってみると、新型コロナウイルスのようなパンデミックがもたらした影響は、単なる健康問題を超えて、社会、文化、そして哲学的な問いをもたらしました。さらに、たとえコロナ危機が落ち着いたとしても、ウイルスという存在が人類にとっての脅威であることは、実は、全く変わっていないと言えます。

1. 人間中心主義の限界

新型コロナウイルスのパンデミックは、現代社会がいかに脆弱であるかを、生々しく突き付けてきました。テクノロジーによって、自然の力を制御できるという確信が、もろくも崩れ落ちる様を、まざまざと見せつけられたと言えます。哲学的に言えば、「人間中心主義の限界」がリアルに示されたわけです。

2.社会と個人、どちらを優先?

コロナ禍では、個人と社会の関係が重要なテーマとなりました。私たちは「自分自身の健康」を守るだけでなく、他者への感染を防ぐ責任も負っていることを痛感しました。ここには、共同体の倫理が問われています。個々の自由と社会の責任がどのように調和するべきかという問題です。パンデミックが終息したかのように見えても、ウイルスが存在し続ける限り、私たちが他者との連帯をどのように維持するかという問題は、常に私たちを突きつける課題です。そして、これを突き詰めていくと、全体主義と個人主義の絶え間ざる闘争となってきます。

3. 科学と不確実性

パンデミックの間、いや、これまでの全ての歴史の中で、科学は多くの問題に対して最前線で解決策を提供してきました。しかし、コロナ禍の中で、科学の限界を突き付けられました。特にウイルスの変異や新たな情報が次々と出てくる中で、完全な予測は不可能であることがわかりました。科学は進歩し、事実を明らかにしていくものですが、それでも不確実性がつきまとうことを私たちは再認識しなければなりません。哲学的に言えば、これは知識の不完全性を理解することの重要性を教えてくれました。科学や技術の発展があっても、完全な安全や解決策を提供することは不可能であるかもしれないという現実に向き合うことが求められています。

4. 人間の関係性と孤立

コロナ禍は、私たちの人間関係の在り方にも深刻な影響を与えました。社会的な隔離、リモートワーク、オンライン授業といった形態が主流になり、対面での交流が制限されました。このような変化は、私たちの社会的存在に対する理解を根本的に問い直しました。人間は本来、他者との関係の中で自己を形成し、意味を見出す存在ですが、パンデミックを通じて孤立や疎外感を経験したことは、この関係性がどれほど重要であるかを再認識させました。今後、ウイルスという脅威が完全になくなったとしても、私たちはどのようにして他者との絆を再構築し、深めるべきかという問題を常に意識していく必要があるのです。

5. 未来の準備と持続可能性

最後に、ウイルスやパンデミックに対する準備の問題です。コロナ禍は、次のパンデミックがいつ発生するか分からないという事実を私たちに突きつけました。それは、単に感染症に対する備えだけでなく、持続可能な社会の構築という問いをも含んでいます。未来に向けて、私たちはどのようにして社会の基盤を強化し、他の危機(環境問題、経済危機など)にも対応できるようにするかという問題に真摯に向き合わなければなりません。

今求められる哲学とは?

これまでの西洋哲学と、それに基づく現代の科学は、人間中心に自然を支配する理想が掲げられ、多くの場面では、それは成功を収めたと言えます。世界史の教科書は、科学の成果のカタログともいえます。しかし、いつからか、科学は人間に牙をむくようになってきました。1945年、広島と長崎に落とされた原爆は、まさにそのターニングポイントを象徴するものだと言えます。

私自身は、今こそ東洋の哲学が顧みられるときではないかと考えています。東洋の哲学の調和の精神は、善と悪をわける二項対立のもたらす弊害を包み込む度量をもっていると思うのです。

実際に、今、世界中で東洋の哲学が見直されています。東洋だけでなく、アフリカ、南米など、近現代に世界を席巻した西洋哲学とは異質の哲学が、価値を生み出しつつあります。

私自身、基本的には西洋哲学を専攻していましたが、年を重ねるにつれ、東洋哲学の魅力に気づきはじめてきました。(若い時は気づきませんでした!)今後は、このあたりのことも書いていきたいと思います!

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