哲学ってそもそも何でしょうか?
哲学についてある程度学んできた人でも、この質問にきちんと答えるのは割と難しかったりします。
…というか、私が正にそうでした…
今回はそんな「哲学とは何か」という疑問について考えてみました!
今回の内容はコチラ(目次です)
哲学は会社でいうと誰?
「医学」は病気の治療や人体について。
「物理学」は物の動きや性質の理論。
「人文学」は人や文学についての考察。
「世の中の○○学と言われるものは、中身はわからなくても、大体何をやってるか見当はつきます。
でも哲学って何をやってるか、想像すらつきにくいですよね。
ウィキペディアで調べても、正しいことは書いて有りそうですが、これもなかなか難しい…
うーん、何かいい方法はないものか? と悩み、思いついたのが、
「哲学って会社の社長に似てるかも!」
ということです。
と言っても、
社長が偉いように哲学も偉い!と言ってるわけでは決してありません!
むしろ、その逆であるとも言えます。
えっ?どういうこと?っという感じですね。では順に解説してみましょう!
まぁ、大目に見てやろうかの
最初に生まれた学問が哲学
あなたが会社を作ったとして、どのポジションにつくでしょうか。
普通は、社長ですよね。
「オレ、会社作ったら絶対課長になるんだよね!」
とか
「ワタシの会社だけど、申し訳ないので平社員でいいです」
ってことはあまりないんじゃないでしょうか!?
会社にとって、まず一番最初の役職は社長だと言って良いでしょう。
哲学もこれに似ています。
人類が誕生し、何やら言葉を話し始め、集団を形成する…
この段階ではまだ○○学と名乗れるようなきちんとした学問は何もありませんでした。
狩猟や採集、初期の農耕などでその日その日の食べ物をなんとか手に入れることに全力を尽くす毎日です。
そして、このような生活を送る中で古代人は様々な疑問を持ち始めました。
「風や雨、雷はどうして起こるのだろう」
「なぜ、人は死ぬのだろう」
「空の星は決まった動きをしているようだ。何か法則はあるのだろうか」
学校も本もない世界で、古代人の中の少数の人たちが、こうしたことに疑問をもち、そして考え始めたのです。
最初に会社を立ち上げた人が、とりあえずは社長。
最初にはじまった学問は、なんて呼ぼう?とりあえず哲学と言おう!
人類最初の学問はこのように始まったと言えるでしょう。
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哲学も社長も役割は譲るもの
会社を立ち上げて、だんだん軌道に乗ってくると、社員も増えてきます。
一番最初は、社長が商品を作り、営業や宣伝をし、納品もしたら代金も回収する。
社員が増えれば、それぞれの意思や能力に応じて、役割分担も始まります。
「君は物静かだが、手先が器用なので商品の製造を頼むよ!」
「私は交渉が得意なので、営業をさせて下さい!」
と言ったところです。
そうすると、次第に社長の役割は減ってきます。
哲学の役割もこれととても似ています。
最初は、「星のこと」「天候のこと」「人生のこと」「神様のこと」などなんでも一手に引き受けて考えていました。
それが、次第に知識が積み重なると、だんだんと哲学だけでは手に負えなくなってきます。
古代の哲学者Aさん
「私は、あらゆることを考えている哲学者。だけど、最近は天気のことはわからないなぁ。病気を治す薬草の見分けは得意だがね!」
別の人は…
古代の哲学者Bさん
「私も、あらゆることを考えている哲学者。と言っても、人間のことも天気のこともさっぱりだ。物体の動きは完全に予測できるんだがなあ」
こうして、哲学は医学や天文学、神学、法学など様々な分野が生まれてきました。
会社が大きくなると、営業部や財務部、開発部などと専門に分化していくことに例えられますね。
具体的には、「文法」「修辞学」「論理学」「数論」「幾何学」「天文学」「音楽」の7学科じゃな。
21世紀の学問とは全く異なっておるようじゃな
その時哲学は何をするの?
会社では社長の役割を他の社員が担うように、哲学も、その他の学問にその問題範囲を譲っていきました。
ん?じゃぁ、結局哲学は何をやってるの?
今度はこういう疑問が浮かんでくるのではないでしょうか?
これも、会社の社長によく似ているんです!
大きくなった会社は、様々な部署がそれぞれ専門的に業務を処理します。
社長は、一応は全ての業務に目を光らせているかもしれません。ですが、細部まで把握することは不可能だと言ってよいでしょう。
哲学は細かい部分は他の学問にゆずり、抽象的な問題ばかりを扱うようになりました。
「正義とは何か」
「人はどのように生きるべきか」
このような問題が哲学の中心的な関心となりました。
そして、
哲学者:「正義ってさ、うーん、ウソをつかないことかな?」
法学者:「は?それだと法律に引っかからないってことになるけど?」
哲学者:「ああ、そうか。じゃあ、困ってる人を助けることが正義かな」
経済学者:「でも、お金がなきゃ助けられない場合もあるでしょ」
哲学者:「あ、確かに。じゃあ、心を落ち着かせることが正義だと思うんだ!」
心理学者:「それは心理学の専門分野だよ。心理学者におまかせを。」
哲学者:「あ、そうなんだ。すみません・・・」
なんか哲学が可哀そうになってきました(号泣)
部分ではなく全体をみる。具体的な問題ではなく抽象的に考える。虫の目でなく鳥の目で捉える。哲学の役割はどんどんとこのような方向へと追いやられていきました。
やはり哲学は大切だった!
いやはや、大きな会社の社長さんも大変でしょうが、様々な学問が発展してきた中での哲学もモノ哀しいものです。
「なんか、哲学って役に立ってないね! 学問界のお荷物じゃない? どうしてなくならないの?」
そこまで言いますか!(また号泣)
でもこんな状況を見せられると、そう考えてしまいますよね。
そのころあの会社では…
ここで、再びあの会社に戻ってみましょう。何やらまた会議をやっているみたいですよ。
営業部長「そんなことはできないよ、むしろコストカットが必要なのは製造部じゃないか。材料費が高そうだ」 製造部長「品質を保つためには、どうしても必要なんです。それより、うちの主力製品は世界レベルですよ。優秀な人材を優先的にうちに回してくれませんか」 経理部長・営業部長「それは困る!」 人事部長「社長、なんとか言ってください!」 社長「あ、そうだね、ええっと…」
なんだか、部署の間で対立が生まれているようです。社長がんばれ!
哲学にしかできない役割があった!
専門的に分化したそれぞれの部署では対立が起こってしまいました。こういうことって日常でも割と「あるある」ではないでしょうか。
原因には、部署の間では目的が違うということが、一つの理由でしょう。
経理部はお金のこと、人事部は社内の人材について、営業部はいかに売り上げをあげるか。それぞれの部署は目先にこういう目標を持っていることでしょう。
ですが、これらの目標の上にはもう一つ大きな目標、つまり「会社が発展する」というものがあることも事実です。そして、これにコミットするのが社長だと思います。
もう、お察しでしょう。
学問の世界にもこれと同じ構造の問題があるのです。
つまり、それぞれの学問領域は異なった問題意識を持っている。この異なった意識から生じる対立や衝突を誰かが裁く必要がある。
その誰かこそ「哲学」だと言えます。
- 医学は人間の病気を治す。
- 経済学は富について。
- 物理学は物質の運動や性質を突き詰める。
それぞれの学問にはそれぞれ重要な使命があります。
ですが、それを独自で突き詰めると、別の領域に問題をもたらすこともあります。
- 経済を発展させることで、環境に悪影響をもたらす。
- 物について研究により、人類は核を手にした。
- 病気を治すための遺伝子操作や臓器売買は正しいことか。
このような問いを、それぞれの専門の学問領域だけで考えることは、現在ではとても難しくなってきています。
このような時にこそ「哲学」が重要性を増してきていると言えるでしょう。
例えば、「法とは何か」と考えることは法学のなかでも「法哲学」と呼ばれる分野もあるぞい
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まとめ
- 最初に生まれた学問が哲学
- 時代が進むにつれ、哲学の守備範囲が広がり、手に負えなくなって他の学問が生まれ始めた
- 哲学にしかできない役割がある
- この役割が意外と重要
以上哲学とは何かということについて、「役割」について解説してきました。
ただ、例えば「マヨネーズとは何か?」と言われても「なんか白っぽい食べ物」とか「わたしは大好き!」あるいは「うちの主力商品です」など色々な答え方ができるように、「哲学は何か」という問題は、非っっっっっっ常に!広い意味があるため、今回の記事はその一部を解説したにすぎません。
また改めて違う側面から解説に挑戦したいと思います!
社長「来期は利益を2倍にしよう!そのため新入社員を100人採用しよう!」
経理部長「いやいや社長、うちにそんな予算はありませんよ」
社長「え?そうなの?何人くらいなら増やせる?」
経理部長「そうですね、20人くらいならなんとか」
社長「そんなに少し!?まぁしょうがないや、じゃあ20人増やそう!」
人事部長「いやいや社長、20人も増やすと、新人研修が手薄になりますよ。社員の質が下がります」
社長「え?そうなの?何人くらいなら教育できる?」
人事部長「そうですね、10人増なら大丈夫でしょう」
社長「そっかー、じゃあそれでお願いします(グスン)」