ミネルバのフクロウについて|哲学好きが社会人大学院で修士号を取るまで

ミネルバのフクロウ

こんにちは。このサイト「本当に役に立たない哲学」を運営している、ミネルバのフクロウです。

哲学好きが高じて、働きながら社会人大学院へ進学。仕事のかたわら5年間(留年!)学び、ようやく修士号を取得しました。

このページでは、私がなぜ哲学にハマったのか、なぜ社会人になってから大学院へ進んだのか、そしてなぜ「本当に役に立たない哲学」というブログを書いているのかを紹介します。

 

ミネルバのフクロウって?

ミネルバ様はワタシの飼い主?――名前の由来

「ミネルバ」とはローマ神話に登場する「知恵」や「戦い」をつかさどる女神サマです。ギリシャ神話の女神「アテナ」と同一視されています。

わたし、フクロウはミネルバ様に飼われています。人間の皆さんが悩んだり、困ったりしているときに、ミネルバ様は、わたしを皆さんの元にお使いに出されます。お金ではなく、そっと「知恵」を授けるために。

ただ、わたしもまだまだ未熟者。大学院でほんのちょこっとかじっただけで、分からないことばかり。皆さんと一緒に学んでいければいいな、と考えています。

突然だった哲学との出会い  

さて、このわたし「ミネルバのフクロウ」も、人間の皆さんの世界で長く暮らし、もはや「おっさん」と言われる年齢になりました。気が付けば、もうすぐ半世紀!(汗)

私と哲学のつながりは小学生時代に遡ります。記憶がはるかモヤの中でほとんど思い出せないようなまだ一桁のお年頃で、数少ない思い出として鮮明に残っているものがあります。

忘れもしない、静かにするべき小学校の図書館で、悪友とふざけて遊んでいるときでした。

鼻水をたらしたその悪友が突然、こんなことを言ってきたのです。

「ねー、フクちゃん、ジュルっ(鼻水の音) ジブンがなんでこんな風におるのか考えたら、コワくならん? ジュルっ(鼻水の音)」

!!! な…に…??

打ちのめされたように、体がこわばったのを覚えています。

そういえば、私もモノゴコロついた時から、なんとなーくですが、こんな疑問をもっていました。

 

ガキんちょの疑問

「水に触れると冷たいし、ほっぺをつねられたら痛いけど、お父ちゃんもお母ちゃんもそうなのかな」

「ボクの頭の中にはいろんなことが浮かんでくるけど、他の人の頭には何が浮かんでいるのかな」

「そもそも、どうしてこんな風に考えたり感じたりするボクが、こうしてここにいるのかな」

大なり小なり、みなさんもこのようなことをフシギに思った経験はあるのではないでしょうか。私もおそらくは人並みにこんなことをフシギに感じていたように思います。

でも、子どもなりに大変な日常。毎日の宿題をどうやり過ごそうかとか、親に怒られないようにうまい言い訳はないかなかばかり考えるなかで、そんな問いは頭のどこかに追いやられていたのです。

そんな時に、鼻水を垂らした友達がそんなことを言うものですから、もう大変。

四六時中、「ボクはどうしてボクなんだ!」と、存在論的疑問のとりことなってしまう、やっかいな子どもとなってしまいました。

その後は、まぁどうにか普通に過ごし(今も普通に過ごしていますが)、学生時代には本格的な哲学に出合い、一時は研究者に憧れたり…などと若い夢をみていました。現実には、お金がなかったり、頭脳が及ばなかったり、その他いろいろありまして、進学を諦めていました。今はサラリーを頂きながら、上司の命令に従う毎日です。

社会人になってそれでも大学院へ メリットは何もない…

若いころ、一度は諦めた哲学への道。

とは言え、哲学への興味が尽きることはありませんでした。

日々の業務の間に雑多な本を読みあさり、頭の中にガラクタがたまってきたころ、ついにひょんなことから、大学院に進学することになってしまいました。我ながら、なかなかしつこいです。

大学院では「生命倫理」を中心に学びました。生命(いのち)について倫理的に考える学問分野です。

そして、仕事をしながら大学院生活を続けること5年(留年!)。

仕事をして、家に帰り、本を読み、論文を書く。

そんな生活を繰り返し、コロナ騒動も治まってきたとある春、どうにか修士論文が完成し、修士号を取得しました!

修士論文で取り組んだのは、「反出生主義」という思想。この思想の中身は、

「全ての人は、生まれてこない方が良いのであーる」

……なんとも、物騒なテーマを選んでしまいました。

小学生のころ、

「ボクはどうしてボクなんだ!」

と悩んでいた少年が、それから数十年。

今度は、

「そもそも人間は、生まれてこない方がよかったのか?」

という問題と格闘することになりました。

そして、その物騒な思想に、真っ向から勝負を挑んだわけです。

もちろん、腕力ではありません。哲学なので、武器は言葉と理屈だけです。

ああでもない、こうでもないと考え続け、最終的には「すべての人は生まれてこない方がよい」なんて主張には無理がある!――この結論を、修士論文に注ぎ込みました。

そして、全てを書き終えたときには、「あしたのジョー」最終回の矢吹丈(若い人ゴメン)のように、真っ白に燃え尽きていました。

力は尽きました。けれど、そのあとに残ったのは、半世紀近く生きてきて初めて味わうような、不思議な爽快感でした。

それでも哲学はオモシロイ!

こうして、長かった大学院生活はいったん終わりました。(でも仕事は続き、給料は上がりません(涙))

修士号を取ったからといって、子どものころから抱えていた疑問に答えが出たわけではありません。

むしろ、分からないことが増えたような気さえします。

あのころ頭から離れなくなった、

「ボクはどうしてボクなんだ!」

という問いにも、いまだに答えは出ていません。

哲学なんて考えても、お金になるわけでもなければ、モテるわけでもない……

それでも、

どうして自分が存在するのか。

どうして正しいと主張する人同士が争うのか。

どうして、夕焼けはあんなに美しいのか。

どうして私はいつか死ぬのか。

そんなことを考えていると、気がつけば何時間も経っています。

忙しい毎日の中で、こんな「答えの出ないこと」をわざわざ考える。

それは一見、何の役にも立たないことかもしれません。

でも、もしかすると――

そんなことを考える時間こそ、人間に許された、とんでもなくぜいたくな時間なのかもしれません。

だから私は、もう少し哲学を続けてみようと思っています。

修士の次は……いつの日か博士へ。

我ながら、本当にしつこいです。

そして、このブログでは、そんな哲学の面白さを、難しい言葉をなるべく使わず、

「ヒマなときに、寝っ転がって読んでみようかな」

と思える形で紹介していきます。

哲学なんて自分には関係ない。

そう思っている方にこそ、

「あれ? 哲学って、意外とオモシロイぞ」

と思っていただけたら、フクロウとしては最高です。